割と有名で昔からある絵本。子供に読むまで私も完全に忘れていたんですが、小さいころに呼んだ記憶がよみがえりました。
登場してくるトロルの姿が何だか幼いながら脳裏に焼き付いていたんですよね。
すると、次第に表紙の姿も「そういえば、この絵は見たことがある!」とよみがえってきて個人的にはビックリする瞬間でした。
そんな昔の記憶がよみがえってくるということ自体が何だか新鮮だったんですよね。
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さて、「三匹のヤギのガラガラドン」のお話しを所感を含めてあらすじを説明しますと(ネタバレ注意)
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このお話し、3匹のヤギはそれぞれ小さいヤギ、中くらいのヤギ、大きいヤギで
みんな名前は「ガラガラドン」という随分、いい加減な設定なんです。
(しかしこれは実は大きな効果が隠されていました)
青草茂る山へ移っていくには恐ろしいトロルの潜む「つり橋」を渡っていかなければなりません。
小さいガラガラドンがつり橋を渡っていると、トロルが現れ、「お前を食べてやる」と言ったところ
小さいガラガラドンは「待ってください。このあとに私よりもっと大きいヤギが来ます。そちらの方が美味しいですよ」と、訴えて橋を渡してもらえることに。
続いて
中くらいのガラガラドンがつり橋を渡っていると、トロルが現れ、「お前を食べてやる」と言ったところ
中くらいのガラガラドンは「待ってください。このあとに私よりもっと大きいヤギが来ます。そちらの方が美味しいですよ」と、訴えて橋を渡してもらえることに。
そしていよいよ最後に大きいガラガラドンの番になります。
大きいガラガラドンは先の二匹の言い訳が使えません。
一体どうなるのか?と実は私も読みながら、次の展開にハラハラしてしまいました。
するとびっくりしたことに、
大きいガラガラドンは小手先で逃げることを考えるどころが、真っ向からトロルに立ち向かって自慢のツノでトロルを木端微塵にしてしまうんですね。
そして3匹は無事に青草が生い茂る山へ移ることができましたというお話でした。
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とお話しはここまでで、
トロルは残念ながら欲張って大物を得ようとして、かえって自分がやっつけられちゃうんですね。
これはこれで一つの教訓が含まれています。
実は私は読みながら、トロルは絶対的な存在で
大きいガラガラドンはどうやってこの場から逃げるのか?
という視点で物語の展開を考えていました。
始めから、やっつけるという選択肢がなかったんですよね。
いかに大きくても、まさかヤギがトロルをやっつけるなんて考えもしなかったのです。
これを通じて、大人になった今、実は知らない間に固定観念で物事を決めつけている自分がいることに改めて気づいたのです。
「固定観念で自分を狭い考えに閉じ込めないように」なんて当然のことだと思っていたら、自分がまさかそうなってしまっていたんですよね。
まさか、子供に読んであげる絵本を通じて、それに気づくなんて、驚きでした。
また、何故みんな「ガラガラドン」という同じ名前なのか?
諸説あるでしょうが、子供にとっては、別にそれぞれに名前なんてなくてもいいのです。
大・中・小の区別がつけば何でもいいのです。かえって名前がそれぞれにあると複雑になってしまいます。
そして、同じ名前なので、何回も「ガラガラドン」というフレーズが読み聞かせながら出てきます。
これはこれで子供には面白い音でして、響きもよく何回も繰り返しでてくるので記憶に残りやすいのです。
そして子供の感想を聞きながら、またこの絵本の優れたところに気づくようになりました。
子供にしてみれば、トロルは悪い存在で、
小さいガラガラドンは子供の自分、
中くらいのガラガラドンはママ、
大きいガラガラドンはパパ
という位置づけで、パパが悪い奴をやっつけた!と喜んでいるのです。
そうです。子供にとってパパはヒーローで、どんな問題でも解決する存在なのです。
小賢しい知恵をきかせて、トロルから逃げてはいけないのです。
勇敢に立ち向かってやっつけなければならないのです。
なんだか作者の想いが伝わってきた気がします。
勿論、いつかはパパにも出来ない事があるという事を知るようになるでしょう。
でも、小さいうちには絶対的な存在への憧れの心も育んで欲しいものです。
私は最近、髪も少なくなって自信喪失気味ですが(笑)、
子供にとって少しでも長い期間「あこがれ」の存在であれるよう、
まだまだ頑張っていきたいと思います
[記事公開日:2014年12月16日]
[最終更新日:]
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